Hip Hop Minister ELIJAH
 
お久しぶりです。
アメリカ横断トリップの報告が続く、となりながらも続いておらずお恥ずかしい限りでございますが、私はまだ生きております。しばらく活動を休止しておりましたが、久々にミニライブをします。
しかも明日です。もしお近くで、お暇がありましたらお越し下さい。
6月4日金曜日
場所は板橋区の大山駅近くのサンライズカフェです。
1000円で1ドリンク付きです。
時間は7時から10時の間で、30分の3セットやりますので、
お好きな時間にお越し下さい。

http://www.sonrisecafetokyo.com/

【2010.06.03 Thursday 13:33】 author : ELIJAH
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アメリカ横断ロードトリップ - その2
3日目後半 Dallas - Somewhere in Texas

この日はDallasにある大学の学生たちと集まり、そこでラップをする予定になっていた。
7時頃から始まる予定だったが、だいぶ早い時間に付けたので、取り仕切ってくれていた方に連絡をした。
「あれ?明日じゃなかったですか?じゃあ、今から学生に連絡します。」
まあ、そんな事もあるだろうと、のんびり学生を待ち、だいぶ遅い時間になり学生が集まりだしたので、
パフォーマンスを始めた。日本人の留学生だけではなく、韓国人、アメリカ人も集まって来たので、
歌は日本語だが、語りは英語でやることになった。パフォーマンスの後にも学生さんや近くの神学校に行っている方々と
話をしたりして、良い時間を過ごした。夕食を食べていなくて、非常に空腹だった我々は、その晩泊めてくれる予定だった学生に案内してもらい、近所のスーパー/マクドナルドに行き、買い出しをして来たのだが、大学ゲートの守衛に止められて、厳しく身元をチェックされた。そこは部外者を泊めることは始めから出来なかったようだ。我々は学生を下ろし、荷物をいそいそと積み込んだ。
時は深夜1時、我々はゲートを出て、車でハンバーガーを食べ、笑うしかないなと思い、体力の持つ限り車を走らせた。
午前4時、安いモーテルに転がり込み、倒れるように眠り込んだ。

4日目 Cheap Hotel in TX - Silver City, NM

前日は遅かったが、この日は17時間ほど運転する予定だったので、朝8時に起きて、モーテルでコーヒーを飲み、すぐに出発した。
予定としては、Phoenixの近くに住んでいるアメリカ人の友人宅に泊めてもらう予定だった。出発前にメールで確認をとっておいたのだが、昨日の件もあったので、もう一度確認しようと思って連絡をした。
「久しぶり!元気か?今日、明日泊まりたいんだっけ?残念だけど、今日から2、3日、町を離れるんだよ。家は空いてるんだけど、入れないよね。」とか言い出すのだ。「会いたかったよ。残念だ。」と言い、彼は電話を切った。

早めに連絡しておいてよかった。いい加減なヤツめ!と思いつつも、半分予想していたので予想通りだったのには笑ってしまった。

我々はPhoenixを通る事をやめ、直接Monument Valleyに向うことにして、進路を変更した。
Texas、New Mexicoを超えてUtahまで一気に北上していく事にした。
結果的には最短で次の目的地に行けるようになったので、かえって良かった。
この日は一日中ひたすら運転をし、New MexicoのSilver Cityという町のMotel 6で宿泊した。
安宿で有名だが、 部屋はせまくないし、ワイヤレスも飛んでるので、中々悪くなかった。
この日もホテルに入ったのが夜遅かったので、となりのハンバーガー屋で夕食を買い、ホテルですぐに休んだ。

五日目 Silver City, NM - Monument Valley, UT

朝早く目を覚まし、外の空気が非常に気持ちがいい事に気が付いた。からっとしていて、少し風がある。
二人でコーヒーを飲みながら聖書を読み、久々にゆっくりとした朝を過ごした。

この日のドライブはそれまでとは全然違っていた。ひたすら山を上ったり降りたりの道なのだ。上り坂になると、びっくりするくらいスピードが落ちた。止まらんでくれよと祈るように運転をしていったが、無事に止まる事もなく、その日の夕方にはMonument Valleyに着く事ができた。



滑り込むようにMonument Valleyに入り、夕暮れに染められていく岩々を眺めた。大地からそびえ立つ層を持つ岩は非常に神秘的だ。





急ぎ足で見て、次の目的地に向う予定だったが、「せっかく来たんだからもったいない。一泊しよう」という友人の提案に乗り、すぐ近くのロッヂにチェックインする事になった。彼らのおかげで(笑)一日半の余りがあったので、予定を変える事ができた。フロントで「今日はスイートしか空いていないよ」と言われ、少し渋ったら、「じゃあ、安くしてあげる」といいディールでスイートに泊まる事ができた。我らの部屋はタウンハウスのようなロッヂで2LDK。かなり豪華で、贅沢な部屋で私も友人もとても満足な気分を味わった。また、ロッジの外に出て、岩に寝転んで空を見ると、本当に振ってこんばかりの星々が奇麗に輝いていた。流れ星も一分に何度も見れる程のすごい美しさだった。
我々は明日の朝焼けを狙って再びMonument Valleyに行く為、あまり遅くならず眠りについた。

続く。
【2009.01.05 Monday 23:08】 author : ELIJAH
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アメリカ横断ロードトリップ - その1
LAへ引っ越す事を決めた時、せっかくなので、色々な所によって、ミニストリーをしたり、遊んだりしようと思い、計画を立てた。
立てた計画は途中で変わったが、最終的には以下のルートで10日間の旅となった。

8/18 - 8/27
Tampa,FL → New Orleans,LA → Houston,TX → Dallas,TX → (Silver city, NM,) → Monument Valley,UT → Grand Canyon,AZ → Las Vegas,NV → Los Angeles,CA.

合計走行距離はおおよそ3300mile(5310km)のロードトリップである。

1日目。Tampa - New Orleans

朝早く出たかったのだが、事故の後処理のため、出発予定時刻をだいぶ過ぎ、昼前にタンパを出発した。
私の車は96年製のマニュアルのMazdaのPickup。タイヤは新品に変えて、調整もし、AAA(アメリカのJAF)に加入したといえ、この長距離に耐えうるだろうかと、多少の不安を抱えつつも、世界の日本車の底力を信じて、ワクワくした気持ちでフロリダを後にした。

今回は幼なじみの親友が日本から、この旅の為に来てくれた。
彼はカメラマンで、彼の写真は多くのファッション誌等で見る事が出来る。忙しい男だが、「こんな機会は滅多にない」と大胆にスケジュールを調整し、参加してくれたのだ。

フロリダを北上しながら、Urban D.とのツアーやHoly Hip Hop Awardのためにアトランタに行った事などを思い出し、心が熱くなった。
私がアメリカで体験した事をシェアしたり、彼の仕事や作品の話を聞いたりしながら、順調に旅は進んだ。

運転すること10時間。無事にNew Orleansについた。夜9時を過ぎていたため、ホテルにすぐチェックインした。ホテルはFrench Quarterという繁華街から4ブロック程離れたCentral Business Districtというエリアにあった。
本当はFrench Quarterで生Jazzでも聞きながら、夜の街を楽しもうと思っていたが、なにぶん10時間の運転で非常に疲れていたので、ホテル近くのややこ汚い食堂で名物ガンボスープとクロウフィッシュ(ザリガニ)のスープ等を食べた。リゾットのような感じで味は悪くなかった。店はやはり観光客が多く、有名人の色紙が壁に多く飾られていた。働いている人たちは愛想のいい黒人の人ばかりで、雰囲気はやはり南部、New Orleansという感じだった。
しかしながら、疲れていたため、さっさと食べて、ホテルに戻った。

ホテルはいいロケーションで部屋もレンガ作りでいい雰囲気だった。
友人はすぐに爆睡し、私も少し報告のメールを家族にし、眠りに着いた。

2日目。New Orleans - Houston


朝早く起き、朝食を食べ、チェックアウト前まで、街を散策した。
昔、フランスが統治をしていたらしく、町並みは古く、おもむきがあった。


※メニューを持ち、ロブスターをかぶり、直立するワニ。


ミシシッピーリバーは巨大で、もう少しゆっくりしていたかったが、雨も振り出し、次のスケジュールも迫っていたので、New Orleansを後にして、Houstonへ向った。

HoustonではJapanese Churchの人たちの集まりで4時と6時からラップをする予定だったのだが、途中大渋滞(大事故だったらしく車は大破していた)に巻き込まれ、また時差の感覚を間違え、6時にしか間に合うことが出来なかった。Houstonに入ってからも結構時間がかかったが、無事に目的地に着く事ができた。教会ではなくメンバーのお宅で、ホテルのようなマンションでの集まりだった。受付に人がいて、セキュリティチェックが厳しく、来客の車はバレットパーキングになっていて、キーを渡したら、ドアマンが停めにいってくれるのだ。家を開放して下った方のご主人の仕事柄そういう所に住んでいるらしい。

マンション前にて、今回お世話になる大久保牧師と初めてお会いした。
私の車を見て、「これでアメリカ横断してるんですか!」とたいそう驚かれていた(笑)。
中では子どもも含めて10人強の人が待ってて下さり、子ども達は私へのWelcome Cardまで書いて待っていてくれた。
時間が経つにつれ、ちらほら人も増えてきたので、パフォーマンスを始めさせて頂いた。

私のパフォーマンスは基本はラップをし、自分がどう神を信じて仕えるようになったかのストーリーを語らせてもらっている。
パフォーマンスの後は皆さんが持ち寄って下さった夕食やスイーツを頂きながら、色々な人と話をする事が出来た。
日本から来たばかりの新婚の女性の方がCDを買って下さり、聞いたら、先々週から彼らの教会に足を運んでいるという。
彼女はクリスチャンではないが、日本に居たときに友達に牧師がいたらしく、そんな縁もあり、アメリカで日本人教会に足を運んでみたらしい。日本では中々チャンスがないが、海外で初めて教会に行ってみたという日本の方は以外と多い。

おいしい食事と楽しい時はあっという間に過ぎ、お開きになった。我々はそこから移動し、大久保先生ご夫妻のお宅に泊めて頂く事になった。
大久保先生ご夫妻はまだ小さな娘さんと3人で暮らしながら、Houstonの日本人教会で牧師をなさっている。夜遅く迄、色々な話をし、とても為になる話や興味深い話を聞かせて下さった。

3日目 Houston - Nasa Johnson Space Center - Dallas



翌朝、奥様の用意して下さった美味しいBreakfastを頂き、さらにゆっくり話をしたり、祈ったりする時間を持つ事ができた。
大久保先生ご夫妻は非常に協力的で、親切で、初対面の私たちに本当に良くして下さった。そして、私のミニストリーを応援して下さり、多くの励ましを与えて下さった。とてもいい交わりをし、我々は大久保家を後にし、そこからすぐ側のNasa Johnson Space Centerに向った。



雨が降っていたのと、時間が限られていたのとで、大急ぎでのNasa見学だったが、スペースシャトルの巨大さや、こうまでして人間は宇宙に行ったのかという強い執念には、感服した。



また、宇宙の大きさと不思議さを思った時に、それを創り、狂いがないように星を動かしている神の偉大さを感じざるを得なかった。まだ見たかったが、次の集まりが夕方に入っていた為、全てを見る事ができずに我々はNasaを後にし、Dallasへ向ったのだった。

続く。
【2008.12.31 Wednesday 00:23】 author : ELIJAH
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Merry Christmas
みなさん、メリークリスマス。
2に行く前にちょいとブレイクをはさみます。

今年は日本でクリスマスをすごす予定はなかったのだが、不思議と今、ここですごしている。

先週は関東学院大学のチャペルで2回のパフォーマンスをし、日曜日は、藤沢市民会館で教会のにぎやかなクリスマスパーティーがあった。私の実家はモンテッソーリ幼児教室/保育園をしており、現役のお子さんとご家族、OB/OGご家族、教会のメンバー、沢山の方々が来て下さり、とても楽しいひとときを過ごした。
One Musicの木村基一さんとご家族がゲストで来て下さって、コンサートもして下さった。基さんの歌とトークもすごく良かったし、基さんの息子さん達が小さいのに、非常に良く育っているので、子どもの家の父母の方でとっても感激しておられる方がおられた。

イエス様の誕生日であるクリスマス。
「その名はインマヌエルと呼ばれる(主が共におられる)」
と聖書に書いてある。

クリスマス前後は街は非常に華やかだ。
光と幸せな空気が漂っている。しかし、全ての人がその空気に酔いしれていられるわけではない。孤独を感じている人にとっては余計に辛い時期なのかもしれない。有名芸能人が亡くなったニュースを聞き、心を痛めた。派手な世界に生きていても、誰しもが、誰かを必要としている。理解してくれる人を必要としている。自分の側にいてくれる人を必要としている。変わらず共にいてくれる人を必要としている。ニュースに載らなくても、この時期に人知れず世をさる人は多くいるだろう。

クリスマスは全ての人の為のものだが、本当のクリスマスは特にそういう人たちの為にある。
イエス・キリストは私たちの友になるために、神であるにも関わらず、小さな赤ん坊の姿を取って、この世に来られた。

やがて、大きな戦い、裏切り、失望、身代わりの十字架での死を遂げる為に生まれてきた。

だから、彼は裏切られた人の気持ちがわかる。失望を知っている。鬱の辛さも知っている。見捨てられた孤独さも知っている。
死の辛さも知っている。

だからこそ、私たちの通る苦悩を知り、共感し、共にいる事ができる。そういう方が光となって、この世に来た。

聖書にこうある。
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」

イエス・キリストは十字架の3日後に、死からよみがえり、姿は見えないが今も共におられる。闇が暗ければ、暗い程、光が映える。
光の大切さ、明るさ、暖かさが心から良く分かる。

イルミネーションを見ながら、その事を思い起こして欲しい。

あなたは一人ではない。
不安や孤独が襲っても大丈夫。

その光は決して消える事はない。

Merry Christmas and R.I.P.
【2008.12.26 Friday 00:03】 author : ELIJAH
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ありがとうCrossover
随分いろいろなことがありすぎて、報告がたんまりある。
目次が作れそうなので、先に大まかな目次を作っておこう。
(そうでないとまた更新が滞りそうなので・笑)

1. ありがとうCrossover
2. アメリカ横断ロードトリップ
3. 日本へ

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ありがとうCrossover



2年3ヶ月のCrossoverでのインターンが無事今年8月に終了した。
学びたいだけ、学んでいけと言われていたので、期間は特に決まっていなかったが、私の中で新しい目標が与えられ、その道が開けたことにより、タンパを離れる決意をした。

私の次なる目標は実践に加え学問的な学びをする事なのである。
Crossoverで肌で学んだものがたくさんあった。実際の働きの喜びや、素晴らしい部分、困難や予想外な事など多くの事を見て、聞いて、ともに体験した。
しかし、将来の働きを考えると、さらに深いレベルの学びが必要だと思わされていた。
また、つたない日常会話レベルの英語力から、アカデミックなレベルにもちゃんとついていける力を身につける事も必要だと思わされていた。

Tommyはとても寂しがってくれたが、是非頑張れと応援してくれた。
私が離れる3週間前にはSunday Night Vibeのゲストとして最後のパフォーマンスの場を与えてくれて、Harmonyと一緒に新しい曲もやる事が出来た。

また、2週間前には日曜礼拝でのメッセージの一部分を担当させてくれた。
3回の英語でのメッセージは、やるまでは非常に緊張したが、みんなが私の聞きづらい英語を一生懸命聞いてくれたおかげで、無事に語る事ができた。

■Harmony (Worship Team)




スタッフ達、Worship Team、Small Groupの仲間達もそれぞれお別れパーティを開いてくれて、多くのギフトや餞別をくれた。礼拝でも、最後の日曜日に挨拶をさせてもらい、多くの人々から祝福を頂いた。

■Staffs/Roommates/Friends







Tommyは「離れるのは寂しいが、自分たちは家族だ。ここはElijahのホームだからいつでも遊びにこい。将来日本で何か始める時は、応援に行くよ。」と言ってくれた。



本当に多くの愛すべき人たちと良い時間を過ごすことができ、最高に幸せな2年3ヶ月だった。
私を受け止め、食事に誘い、家に呼び、共に遊び、教えてくれた人々に本当に感謝している。
これからも、私はCrossoverの家族であり続けたいと思う。

出発間際、気がかりな事も一つあったのだ。
実は、アメリカ横断の3週間前に、車をぶつけられていた。
私に過失はなく、非常に小さな事故ではあったが、むち打ちになってしまった。

しかしながら、日本からの友人がタンパまで来てくれて、久々の再会を楽しみつつ、ビーチやCrossoverなどを紹介し、楽しい最後の数日を過ごした。

事故処理はタンパを離れる当日ぎりぎりまで、落ち着かない状況で、何とか色々目安が経って、タンパを出発する事ができた。

ありがとう。Pastor Tommy, Crossover Church Fam, そしてTampa, FL。

こうして我々は96年製Mazdaのピックアップトラックでフロリダを後にし、アメリカ横断に旅立ったのだった。

【2008.12.12 Friday 15:51】 author : ELIJAH
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